「梶川塗装」創業

昭和8年、中央区楠町に「梶川塗装」創業

創業80余年 親子三代、神戸の街で塗装一筋に

梶川塗装は昭和8年(1933年)、現在の神戸市中央区楠町3丁目の地に、
「梶川塗装工芸社」の名で創業
された。
創業者の梶川薫(18991984)は、広島県の裕福な農家に生まれたが、早くに父を亡くし、13歳の頃、親類を頼って神戸に出てきた。

現在の北長狭通りにあった「ペンつる」という店に丁稚奉公に入った薫は、年季奉公の後に三宮の「白石看板店」で働くようになる。
ここでは持ち前の器用さを活かして、塗装だけでなく看板の枠(生地)作りなどもしていた。

修行を終えた薫は独立し、
34歳のときに「梶川塗装工芸社」を創業する。
主に住宅や店舗の塗装を主に手掛けるが、当時の塗料は乾くのに時間がかかり、店舗の塗装は閉店後の深夜から始め、翌日の夕方の開店時まで続けるなど、まさに働きづめの毎日だった。

それほどまでに薫が、真面目にがむしゃらに働いたのは、その肩に祖母と父、妻、そして4人の子どもの生活がかかっていたからだった。
やがて店が何とか軌道に乗り始めた頃、日本は戦争へと突入していく。

その頃、薫は徴用で造船所に通い、船の塗装の仕事も引き受けていたが、戦火が激しくなると子どもたちを疎開させ、自らも一時、神戸を離れた。

そして昭和20年(1945年)の終戦。
焼け野原の神戸に戻った薫と家族は、しばらくの間、兵庫区多聞通のバラックに身を寄せていたが、昭和23年(1948年)、現在の場所に居を構えることができた。
とはいえ、10坪の家の屋根はトントン葺き、壁は荒壁のままで隙間風が情け容赦なく吹き込むような貧しい生活。しかし、激動の時代を乗り越え、終の棲家を家族とともに得た薫は、幸せをかみしめていた。
復興途上の神戸で、再び薫は塗装の仕事を始める。

その堅実な働きぶりと仕事の丁寧さは評判となり、口コミで得意先が増えていった。
それでも冬場の1月2月は仕事がなく、神社の境内で飴を売って生計を立て、何とか子どもたちを学校に通わせていた。

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